大人子供の日々徒然

極めてどうでもいい雑記です。

TVアニメ「はいからさんが通る」主題歌から漂うスティービー・ワンダー臭(レッド・ツェッペリンでも可)

2017/03/25

盗作。剽窃。パクリ。オマージュ。リスペクト。インスパイア。引用。換骨奪胎。これらは「おいおい、この曲とあの曲、ずいぶん似通ってやしないかい?」というケースを言い表す際の代表的な語彙である。

思えば、小沢健二をとんでもねぇパクリ野郎だと誤解していたのも今となっては懐かしい。あれが盗作やパクリとは少しばかり違う一種の「お作法」だと知ったのは、ファンを子猫ちゃんとのたまうナヨナヨと気持ち悪いヒョウロク玉 a.k.a. 小沢健二がセールス面でパッとしなくなった頃だった。とりあえず何を言っているかよくわからないそこのあなたは「小沢健二 パクリ」でググってごらんなさいまし。
尚、直前の罵詈雑言は当時の私が抱いていた小沢健二評である。だって、マジで気持ち悪かったんだもん。

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なぜ“引用”するのか

それはさておき、「コード進行やらメロディやら音像やらをまるっと全部コピっているわけでなければ、ある程度の引用はお作法として許容される」という点はひとまず押さえておいて頂きたい。和歌における本歌取のようなものと考えれば良いだろう。
とは言え、あらゆる創作物、とりわけ音楽に対してはオリジナリティを重要視する傾向が強い。例えミュージシャン側がセンス良く引用したつもりでも、口さがないリスナーからパクリだの盗作だのと糾弾されかねない。
では、なぜミュージシャンはそのようなリスクを負ってまで「引用」を行うのか。考えられる理由の一部を以下に挙げる。

引用元への愛情を示す

ミュージシャンによる「俺はこういうのが好きなんだ」という宣言である。よって、自身の音楽的ルーツを示すことにも繋がる。
音楽に対し真摯に向き合っているタイプのミュージシャン、純粋な音楽小僧キャラのミュージシャンにとっては効果的だが、炎上商法を得意とするミュージシャンがこれをやると、リスナーに真意を汲み取ってもらえず、要らぬツッコミを浴びることになるので注意が必要。

お遊び

まずはこの動画をご覧頂きたい。

このイントロ、疑う余地のないほどにレッド・ツェッペリンのHeartbreakerである。
これは「ツェッペリンのパクリじゃねぇか!」とプリプリ怒らず、むしろ「長山洋子がツェッペリンって」という落差を面白がる類のものであると断言したい。
このような「コンポーザーのお遊び」を楽しめる心の余裕を、常に持っていたいものである。

音楽的IQの高さを披露する

ほとんどのリスナーに知られていない曲のワンフレーズなり音作りなりを引用することで「俺はこんなマニアックな音も知ってるんだぜ、どうだ参ったか」という主張を、自身の作品に込める方法。
例えば、70年代前半にビルボードシングルチャートTOP40に一週だけランクインしたような曲から一部のフレーズを借用しても誰も文句は言うまい。引用する曲がマニアックであればあるほど、ミュージシャン側としては己の音楽的IQの高さを示すことになる。

リスナーへの挑戦

あまり知られていない楽曲の一部分を引用することは、ミュージシャンにとっては自身の音楽的IQの高さを示すことに加え、リスナーの音楽的IQの程度を試すことにもなる。言うなれば、ミュージシャンからリスナーに対する「君、僕のファンなんだからさぁ、このくらいは知ってますよねぇ?」という挑戦。
この挑戦に答えることができたリスナー側は「自分は音楽的な知識に優れたリスナーである」と悦に入ることができる。ミュージシャンにとってもリスナーにとっても、各々の音楽的IQの高さを相互確認することができるという、言わばwin-winの共犯関係が成立する。

以上、本題に入る前の考察を書き連ねたところで、小三治のマクラばりの長い前置きはこれにて終了。そういえば、最近の小三治はかなり老化が進行し、高座の出来が極端に悪いこともある模様。まぁ齢だからしゃあない。

アニメ「はいからさんが通る」オープニングテーマ

さて、ここからがようやく本題。まずは黙ってこの曲を聴いて頂きたい。

アニメ「はいからさんが通る」のオープニングテーマである。どんなきっかけだったのか忘れてしまったけれど、しばらくぶりにこの曲を聴いた時は驚いた。だって、後ろで鳴ってるクラビネットがどファンクなんだもの。
初めてこの曲を聴いたのは私が物心つくかつかないかの頃。加えて言えば、当時放映されていた「はいからさんが通る」は本放送ではなく、再放送だった。もちろんファンクのファの字も知らない頃なのだから、この事実に気付くわけもない。

さて、本エントリーの標題を再確認せずとも、一部の読者諸兄はすでにお気付きだろう。イントロのフレーズが、スティービー・ワンダーの“Superstision”(『迷信』と言ったほうがわかりやすいだろうか)もしくはレッド・ツェッペリンの“Trampled Under Foot”に酷似していることを。

“Trampled Under Foot”は“Superstision”からの影響を色濃く受けていると良く言われる通り、特にイントロに関しては酷似している。この一連の流れの終端には、B'zの「あの曲」があるのだろう。バッコミュニケイシヨォォォォォン。

今までの文脈から、私が『なんだよ、はいからさんが通るのOP、スティービー・ワンダーとツェッペリンのパクリじゃねぇか』と言いたいわけではないことはご理解頂けるはずだ。むしろ、『よくぞアニメソングにここまでのどファンクなフレーズをねじ込んでくれた』と賞賛を贈りたいのだよ、私は。

70年代の婦女子をナメてはいけない

「はいからさんが通る 迷信」でググると、すでに幾人かの先達がこの類似性に言及している。まぁ、多少音楽をかじっていれば誰でも気付きますわな。
私が気になるのは、『果たしてTVアニメ放映当時、楽曲の引用に気付いた視聴者はいたのだろうか』という一点である。

原作の連載誌は週刊少女フレンド。いわゆる少女漫画のカテゴリーに入る。TVアニメのターゲットも連載誌と同様、若い女性と考えて差し支えなかろう。
件の主題歌が使用されたTVアニメの放映は1978年から1979年。この「70年代」というのはなかなかあなどれない時代で、全ての娯楽における音楽の地位がかなり高位置にあった時代だと言える。何せ、キース・エマーソンが当時の婦女子の王子様だったのだから。あの、複雑怪奇な音楽を演るEL&Pのメンバーがだよ? 極めつけは、本国であまり評価されていなかったクイーンを世界に先駆けて評価したのは、他でもない日本の婦女子連中だったという事実。
EL&P及びクイーンのメンバーのルックスやら外タレコンプレックスやらを差し引いても、当時のリスナー、特に婦女子の音楽的な偏差値は相当に高かったのではないかと考えられる。70年代の婦女子をナメてはいけないのだ。
「はいからさんが通る」の視聴者層が“Superstision”や“Trampled Under Foot”を知っていたとしても、ひいては楽曲の類似性に気付いていたとしても、何ら不思議はない。まぁ、実際はほとんどいなかっただろうけど。

そういうわけで、結論としては『誰かしら気付いていただろうなぁ。と言うよりも、気付いていて欲しいなぁ』ということにしておきたい。多分に私自身の希望が介在しているのはご勘弁願いたい。だって、当時の婦女子が

「このイントロ、スティービー・ワンダーの“迷信”そっくりだわ!」
「ジョン・ポール・ジョーンズの弾きっぷりが目に浮かぶようだわ!」

なんて言っていたとしたら、何とも趣深いじゃございませんか。

そんなことを言っていた(かもしれない)当時の少女は、今や孫のひとりもいるような年齢になっているだろう。長年連れ添った夫を支える、あるいは孫の送り迎えに精を出す彼女たちの魂にファンキーなクラビネットのリフが刻まれているとすれば。彼女たちの歩んできた人生に対するそこはかとない機微と豊穣さを感じ、何とも暖かい気持ちになるのだ。

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